とよひら白書プロジェクト〈3.“104歳ヤチヱさんインタビュー”〉

2026年3月1日 佐々木ヤチヱさんとその息子さんの佐々木正(ただし)さんにお話しを聞かせていただきました。
佐々木ヤチヱさんは、大正11年生まれ。御歳104歳。
若い時は田おこしの技術を競う大会で男性にも負けない活躍をするほどパワフルで器用だったそうです。
産まれも育ちも豊平の今吉田地区。
ご両親は島根県の方でしたが、今吉田でいい粘土が出るということで、ヤチヱさんが産まれる前に移住し、瓦屋さんを始めたそうです。
粘土というと山の中から取りそうですが、田んぼの中から取り出すのだそうです。
田んぼから粘土を取り出したら、土を返してまた田んぼの状態に戻すという流れ。
大きな登り窯もあり、人を雇って瓦を作っていたそう。
粘土がなくなって、今吉田に5軒あった瓦屋さんも姿を消したそうです。
「銭がないけぇ、豆腐を作って売る、蚕を売る」など様々な方法でお金を稼ぐことをしていたそうです。
「銭がないんだけぇ、物を大切に使いよった。今は何でも使い捨てですぐ捨てる。さいさい買わりゃあせんのじゃけぇ。昔の人は辛抱してやりよったよ」
お金がないし、戦争もあったりで、食べ物も貧しかった時があったのか聞くと、田舎なので食べ物に困ることはないと言われていました。
子どもの頃の食べ物といえば、麦ご飯で、なんと麦100%のご飯を食べていたそうです。
一体どんなお味なのかとても気になりました。
好きな食べ物は?
「好き嫌いがないけぇなんでも喜んで食べよったねぇ」
その中でも特に美味しかった思い出もあるものは??
「大根が美味しかった」
どうやって食べるのが美味しかったですか?
「なんでも。煮てもすっても。すってご飯にかけて食べる」
すった大根とご飯だけで食べるんですか?
「醤油もかける」
好き嫌いはないそうですが、骨の多いイワシは大嫌いだったそうです。
「イワシがやんでのぅ〜イワシは毛が多いけぇ大嫌いじゃった」(一同大笑い)
デザートとかはあったんですか?
「柿を取って食べたり。果物を買ってまで食べることはないねぇ。」
お花見で集まる日は特別にフルーツが出たそうです。
「リンゴを買ってもらって喜んで食べとったねぇ」
「玉ねぎも今みたいにいつもあるもんじゃない、じゃがいもも」
旬でないものは年中なかったそうでした。
おかずで思い出す料理は?
「八寸(はっすん)」
八寸とは、コイモ(里芋)、ニンジンなどの野菜を入れて醤油で炊いた物で、砂糖なんかないので使っていないが、とても美味しかったそうでした。これもどんな味わいだったのかとても気になりました。
ヤチヱさんの息子の正さんからお聞きした話しでは、正さんの若い頃(昭和の中頃)は、今吉田地域だけで家電屋さん、パチンコ3軒、たまに上映する映画館、病院、呉服屋2軒、散髪屋、農協、商店、食堂などたくさんのお店があったそうです。
えびす講が今吉田である時はバスが通れないほど人が来ていて、今では想像がつかない賑わいがあったようです。
寄り合いもよくあって、近所の酒屋さんからお酒を買って飲んだり、月一回のお寺の行事で各家持ち回りで法要をしてもらって、その後お茶をしてワイワイ話したりしていたそうです。
子どもの頃はお腹が空いたら数人で山に入って栗をとって食べたりもしていて、栗は渋皮を取れば生でも食べれることを教えてもらいました。
ヤチヱさんと正さんのお話しから、シンプルな調味料で、季節の果物や野菜の味を美味しく味わい、活気の中で旬の食べ物に囲まれて暮らしていた様子を知ることができました。
お金や物はなくても、食べ物は豊かだったんだということにも驚きました。
食を中心にお話しを聞きましたが、その他、ヤチヱさんの子どもの頃の遊びはケンケンパだったこと、学校が近かったのでお弁当は持っていかず昼には家に戻って食べていたこと、戻ると従業員の人たちがたくさんいてみんなでご飯を食べていたこと、牛は2頭いて疲れないように交代で働いてもらっていたこと、今とはかなり違う日々のお話しもたくさん楽しく聞かせてもらいました。
蔵にある昔の道具などの写真も見せていただきました。
今回のお話しで今とは全く違う豊平の様子や文化について知りることができました。
また、104歳のヤチヱさんの愛嬌とパワフルさから将来の希望ももらえた気持ちになりました。
インタビューを終え帰りながら、食いしん坊な私たちは麦ご飯や、八寸、生栗なども食べてみたいね、と盛り上がりました。
ありがとうございました。
(レポート:前田奈津枝)


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